History

Zuo ー 日本の靴作りに芸術を持ち込んだブランド

毎年、世界最大の靴の祭典が行われるミラノ。

1980年代、ほとんどの日本人が海外渡航したことのない時代に1人の職人がそんな靴の聖地を訪れました。それこそがサントリイシューズ創業者。

まだ日本人が黒靴しか履いていない時代に新しい靴作りを求めて単身ミラノに渡りました。鮮やかなカラーで仕上げられたドレスシューズ、芸術的な意匠が施されたソール。そこには靴をプロダクトとしてではなく、アートとして楽しみアルチザンたちの姿がありました。そんな世界の靴作りに衝撃を受けた創業者の心に刻み込まれた「これからの日本人に必要なのは、ファッションを楽しむ感性」という想い。そんな想いからサントリイシューズの靴作りは始まりました。

靴職人の町 浅草に拠点を構える自社工房

国内の靴作りで最も古い歴史を持つ土地の一つが浅草。いまでも国内トップクラスの靴生産量を誇ります。靴作りの全てが揃っている浅草が「靴の聖地」とも言えるのは、そんな歴史と実績に裏打ちされています。


国内で初めて製靴工場が生まれた築地に近く、隅田川の近くということもあり、明治初期には国内の大型靴工場が登場しました。そして製靴技術や職人が集まる土地になってきた歴史を持ちます。


そんな土地だからこそ、今でも、歴史と技術を引き継いだ腕の良い職人が数多く集っていています。徹底的に国内の丁寧な職人技にこだわり、靴を仕立てるには、浅草という土地は最適な場所でした。サントリイシューズは、そんな浅草に自社工場を持つことにより、最先端の靴作りに励んできました。

アーティストとプロフェッショナルの共演が生み出す芸術

サントリイシューズの靴作りは、それぞれの分野をその道一筋の熟練職人たちが担当しています。


各工程のスペシャリストが結集して仕上げるのは、日本の伝統的なモノづくりの特徴でもあります。それぞれの職人が専門領域を深め、その技術が代々継承され磨き上げられる、そうした繰り返しにより、世界に類を見ない繊細な技術が生まれる背景になっています。


世界中の技術を見てきた創業者が最後に辿り着いた結論は、やはり全ての工程を国内で仕上げるということでした。

靴の本場ヨーロッパ、世界の生産拠点アジア。半世紀以上もの間、一職人として靴作りの技術を求めてきた創業者が、日本人にベストな靴作りとは何かという問いに対して出した答えです。